私は中学生の時に☆矢というアニメに出会い、「やおい」というものに触れ、一気に「腐女子」の道へ転がるように落ちていった。
自分はなぜ「腐女子」なのか。
当時からずっと、自分は歪んでいるとわかっていた。
50歳を越えるまで、わたしはいろんなアニメや漫画で、特定のカップリングのやおい本を買い漁り、ある時期は自分で本を作ったり、ホームページを作ってお約束の隠しリンクなどを仕込んだりしていた。
そして、50を越えたいま、パタッと腐女子活動を終了した。
オブラートを包まずに言うと、おそらくそういう欲というものが、年齢を経て薄くなってきたのではないかと思う。
そして、やおい本を手に取らなくなった今、なんとなく考えるに、自分はやおい本を読めば読むほど、強い刺激に慣れてしまっていったのではないかと思う。というのは、読まなくなってからしばらくして、自分が持っていた本をすこし開いてみて、びっくりしたからである。このキャラは確かに私の好きなキャラなんだが、こんなに原作で好青年だったろうか?
原作を好きで、そこで感動をもらった大切なキャラクターが、いつしかカップリングにすり替わり、自分の中でどんどんデフォルメされていっていたのだ。
そして、腐女子でなくなった私は、すごく身軽になったような気がしている。
カラフルで豪華なやおい本が席巻していた自分の部屋から、少しずつ少しずつ処分して、お小遣いを使うペースもぐっと落ち、人に言えない仄暗い趣味が自分からなくなったことが、とても楽になったのだ。
そんなこと言って、また新たな腐女子沼へ突き落とされることになるかもしれないけど。
でも、この開放された気持ちを知ってしまった今は、もう沼に落ちないような気がするのだ。
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